by writer » 2024年5月23日(木) 07:34
プラトン主義
プラトン主義では、カタルシスは魂が知識へと漸進的に上昇する過程の一部である。特に新プラトン主義者のプロティノスとポルフィリーにとって、カタルシスは情念の除去である。これは徳の明確な区別につながる。プロティノスは第一エネアスの第二章で、市民的美徳とカタルシス的美徳の違いを明らかにし、市民的美徳、すなわち政治的美徳は劣っていると説明する。それらは秩序と美の原理であり、物質的存在に関わるものである。(エネアデス』I,2,2)絶対的な善の痕跡を保ってはいるが、魂と神性との一体化には至らない。ポルフィが明らかにしているように、その機能は個人の情念を和らげ、他者との平和的共存を可能にすることである。(センテンス、XXXIX) 浄化的、あるいはカタルシス的な徳は、神性に同化するための条件である。魂を感覚的なもの、真の自己でないものすべてから切り離し、心を観想することを可能にする。
プラトン主義
プラトン主義では、カタルシスは魂が知識へと漸進的に上昇する過程の一部である。特に新プラトン主義者のプロティノスとポルフィリーにとって、カタルシスは情念の除去である。これは徳の明確な区別につながる。プロティノスは第一エネアスの第二章で、市民的美徳とカタルシス的美徳の違いを明らかにし、市民的美徳、すなわち政治的美徳は劣っていると説明する。それらは秩序と美の原理であり、物質的存在に関わるものである。(エネアデス』I,2,2)絶対的な善の痕跡を保ってはいるが、魂と神性との一体化には至らない。ポルフィが明らかにしているように、その機能は個人の情念を和らげ、他者との平和的共存を可能にすることである。(センテンス、XXXIX) 浄化的、あるいはカタルシス的な徳は、神性に同化するための条件である。魂を感覚的なもの、真の自己でないものすべてから切り離し、心を観想することを可能にする。