阿波研造の名言・格言

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阿波研造の名言・格言の抽出
日本の弓術家。弓聖と称えられる。

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的にあてることを考えるな、ただ弓を引き矢が離れるのを待って射あてるのだ

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弓術はスポーツではない。
したがってこれで筋肉を発達させるなどということのためにあるものではない。
あなたは弓を腕の力で引いてはいけない。
心で引くこと、つまり筋肉をすっかり弛ゆるめて力を抜いて引くことを学ばなければならない。

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あなたは意志をもって右手を開く。
つまりその際あなたは意識的である。
あなたは無心になることを、矢がひとりでに離れるまで待っていることを、学ばなければならない。

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あなたの代わりにだれが射るかが分かるようになったら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。
経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。

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私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。
すると的は私の方へ近づいてくるように思われる。
そうしてそれは私と一体になる。

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矢が中心に在る
これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心に入るのである。

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あなたがそんな立派な意志をもっていることが、かえってあなたの第一の誤りになっている。

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むしろ精神を集中して、自分をまず外から内へ向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい。

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どのようにして正しい射方をするかと問われれば、私は知らないとしか答えることができない。
自分は少しも手を加えず、またそれがどうなるのか見守ることもできないが、矢はすでに放たれているのであった。

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あなたがもしそんな技巧家になるつもりなら、私というこの精神的な弓術の先生は、必要がなくなるでしょう。

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私は疑うことも問うことも思いわずらうこともきっぱりと諦めた。その果てがどうなるかなどとは頭をなやまさず、まじめに稽古を続けた。
夢遊病者のように確実に的を射中てるほど無心になるところまで、生きているうちに行けるかどうかということさえ、もう気にかけなかった。
それはもはや私の手中にあるのではないことを知ったのである。
最後に編集したユーザー writer [ 2024年3月24日(日) 01:09 ], 累計 1 回

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矢を射るとき自分の周りにどんなことが起ころうと、少しも気に懸らなくなった。
私が射る時に二つの目が、あるいはそれ以上の目が私を見ているかどうかということは頭に入らなかった。
のみならず先生が褒めるか貶すかということさえ、私に次第に刺激を与えなくなった。
実に、射られるということがどんな意味か、私は今こそ知ったのである。

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先生が褒めるか貶すかということさえ、私に次第に刺激を与えなくなった。

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疑うことも問うことも思いわずらうこともきっぱりと諦めた

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的のことも、中てることも、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい

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他のことはすべて成るがままにしておくのです。

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的はどうでもいいから、これまでと同様に射なさい

目標はどうでもいから、これまでと同じやり方でやろう

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あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずがない。

意識的に無意識になろうとする状態自体が、無意識でない事になる。

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無になったら、誰が射るの?

経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきだろうか。

むしろ精神を集中して、自分をまず外から内へ向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい。

最初から意味を求め過ぎず、徐々に経験から理解を深めて行く

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意識的に矢を放たないと矢は放たれない

待っても考えても感じても欲してもいけないのである。術のない術とは、完全に無我となり、我を没することである。

景色を見ていたら、勝手に筆が動いて、良い絵を描くように

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術(テクニック)としての弓を否定し、道(精神修養)としての弓を探求する宗教的な素養が強かった。目をほとんど閉じた状態で弓を絞ると的が自分に近づいてきてやがて一体化する。そこで矢を放つと「狙わずにあてる」ことが可能になるというのである。

技術やテクニックを使う、自分自身に注目し、それを忘れていく。相手が自分に近づいてきて、一体化する様な感覚を掴みたい。

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解釈:当たっても喜ばず、外れても悲しまず、常に平常心でなければならない

常に一定の美しい動作の連続でなければならない

自分から動かず、相手が来るまで待つ感覚。
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